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□代わりたいくらい
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朦朧とする意識の中で手を伸ばすと、誰かが私の手を握ってくれた。
冷たくて心地良い。そう呟いたら、私の顔にも手を当ててくれた。
痛む頭に震える体。何一つとして良いと呼べるものはないように思っていたけど、誰かの手の冷たさだけは、とても気持ちが良かった。


「ヒカリ、ヒカリ」


名前を呼ばれて、眠りの淵をさ迷っていた私の意識がはっきりとしてきた。
目を覚ましているのかいないのかさえ曖昧になるなんて、改めて熱の驚異を思い知った。
ジュンは心配そうな顔で私を見ている。
今日家に来たときからずっと、ジュンはこの顔で私を見る。
そんなに心配するほどじゃないのに。


「大丈夫だよ」

「だってヒカリ、うなされてんだもん。俺、救急車呼ぼうかと思った、マジで」

「熱が出るとちょっと変になっちゃうだけだから。私のお母さん言ってたでしょ?」

「言ってたけど、目の当たりにすると本当に怖い」


そう言ってから、ジュンは私の机に置いておいたらしい林檎が並べられている皿を持ってきた。
上体だけ起こして、ジュンから受け取った皿を膝の上に置く。
さすがジュン、と言ったところだろうか。
皮が残っていたり、形がいびつだったり。
でも、ジュンが私の為に慣れないことを一生懸命やったんだと思うとこの林檎には胸をうたれるものがあった。


「なんか、変になっちゃってさ、ごめん」

「ううん、いいよ。ありがとう」


爪楊枝を刺して、一口食べる。
ん、やっぱり熱が出ているときは林檎のシャリシャリ感がすごく嬉しい。
林檎を食べたいと私が言ったからって、まさか本当に買ってきてくれるとは思わなかった。
熱は辛いんだけど、ジュンに優しくされるのは嬉しい。


「おいしいよ」

「ならよかったよ。食べたらまた、寝た方がいいと思うぜ。はい、水」


ジュンから手渡された水と薬を飲んで、私はまた横になる。
ジュンの手をちらりと見た感じ、怪我はしてないみたいで安心した。
私の為に指まで切られたら、いたたまれない。


「ね、ジュン。しりとりしようよ」

「寝た方がいいって」

「わかってるんだけど、辛いし寂しいし、ジュンと話してないとどうにかなっちゃいそう」

「…わかったよ。でも、しりとりはなしな」


ジュンは私が普段机に向かうときに使う椅子をベッドの横まで引っ張ってくると、それに座った。
ジュン、と呼びかけたら手を握ってくれた。


「がんばれ」

「…うん」

「俺が代わってやれたらなって思うよ」

「私もジュンに代わってほしい」

「あ、ひでえ」


ジュンは軽く笑うと、椅子から立ち上がって私に近付いた。
顔と顔がくっついてしまうくらい近くて、私は顔を逸らしてなるべく息をしないようにしていた。
うつしたくない。こんな辛い思いをするのは私で充分だ。本当に。


「代わってやるから、こっち向いて」


「嫌」


なるべく息が漏れないように、小さな声で話す。


「病人はおとなしく言うこと聞けって」

「さっきのは冗談だから、やめてよ」

「俺は冗談じゃない。本当に代わってやれたらって思ってる」


ジュンは私の頬を挟んで自分の方に向けようとする。
ただキスがしたいのか、本気で代わろうとしているのか私にはわからない。
ジュンの力にかなうはずはない、そのうえ私は病人なわけで、あっさりとジュンと向き合う形になってしまった。


「ほら、目閉じて」


物が近付いてくると、人は目を閉じてしまう。
私が目を閉じたときにはもう既に、ジュンと私の唇は重なってしまっていた。
冷たい唇が気持ちいい。だからと言ってキスをし続けることなんてしない。
ジュンを押しのけて、布団を被る。
いってえという声が聞こえたけれど、関係ない関係ない。
熱に苦しむよりはそっちの方がマシだろうし。


「じゃあさ、布団の中入ってもいいよな?」

「知らない」

「入るからなー」


ジュンは本当に私の隣に入ってきて、私はいそいでジュンに背中を向けて遠ざかる。
自分の真後ろにジュンがいるなんて、熱とか関係なしに、色んな意味でまずい。
ちょっと足を動かすだけで、冷たいジュンの足に触れてしまう。


「俺のこと、抱き枕にしてもいいからな」

「しない」

「なんでだよ」

「うつるから」

「人にうつした方が早く治るらしいぜ」

「いいです」


ジュンが私の髪の毛をいじりはじめた。
やめろーやめろー。
不意にジュンがベッドを出た。
お、私の念が通じたのか…!


「ヒカリ、やっぱ寝た方がいいって」

「わかってるよ、はいはい寝ます」


ベッドに入って来られるより数倍マシだ。
私は寝返りをうって、部屋のドアの傍に立っているジュンを見た。
ジュンは私の顔を見るなりすぐに背を向けて部屋を出て行ってしまった。
なんかよくわからないけど、自分のしたことが恥ずかしくなったんだろう、多分。
私はジュンが剥いてくれたリンゴの味を思い出しながら再び眠りについた。



罰金罰金罰金罰金。
自分にも、ヒカリにも罰金だ。
なに、考えてんだよ俺は。同じ布団に入るとか、横になってるヒカリにキスするとか。
手繋ぎとキスしかしたことない俺とヒカリにとってあれは刺激的すぎた。
でもいつかは一歩踏み出さないといけないわけで…っていうか、馬鹿!想像するな俺!
ヒカリの母さんに看病頼まれたんだから、ちゃんとやらなきゃな。
気合い入れろ俺!
とりあえず、林檎の皮剥きの練習でもするか。
大量に買った林檎が入っているレジ袋と数秒睨み合ってから俺は台所に立った。
さっき使った包丁を洗って林檎に当てる。
よし、集中!
綺麗に剥けた林檎を見て喜ぶヒカリを想像しながら皮を剥いていたら、いつの間にか指から血が出ていた。
痛くない。ヒカリのことを考えていると、痛みも感じないらしい。
そういえばよくヒカリにも、ジュンは鈍感だなんて言われていたような気がする。
傷口を洗いながら、ヒカリが絆創膏の貼ってある俺の指を見たときのことを想像する。
俺が傷つくと、ヒカリも傷つくから、できるだけ気付かれないようにしよう。
また包丁と林檎を持つ。
ヒカリに喜んでもらう為なら、何時間でも皮剥きをやっていられると本気で思った。

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