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□フェンス
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昨日さ、日下ん家にプリント届けに行ったんだよ、そしたらさあ。
なに?あ、まさか自殺してた?
いや違うってえギャハハハ。
あいつ、窓枠んとこ座って、あいつの家の窓バカみたいにデカいんだよ。で、指に鳥乗っけて、ぺちゃくちゃ喋ってんの。マジかよって感じ。
うわあ…やっぱあの子キモいよなあ。

隣の席の女子が休み時間に入る度、友達を集めておしゃべりを始めるせいで最近俺の安眠は妨害されている。
顔を伏せながらも斜め前の空いている席を見る。と、机の中にぐしゃぐしゃに詰め込まれたプリントが見えた。よく見ると、プリント以外の酷いものまであって、ぼんやりとかわいそうだなあと思う。次の授業が始まるチャイムが鳴ったときには、斜め前の席の奴のことなんてすっかり忘れていて、日下がチャイムと共にいきなり教室に飛び込んできたときに再び思い出した。
教師はまだ来ていない。日下はそのことにホッとしたのだろう、切らした息を整えながら空いていた俺の斜め前に座った。

「ちーぐさ、おはよ」
「あ、昨日は本当にありがとう」
「いいってそんなの。友達なんだから、当たり前でしょ」

かわいそうな日下。ニコニコ笑ってすっかり信じきっている。
ぐしゃぐしゃに詰め込まれていたプリントを、一枚一枚シワを伸ばしてファイルに入れていく。何となくその様子を見ていたら、ブラウスの袖から覗いた手首の傷に気付いてしまった。
かわいそうな日下。きっと気付いてるのに笑ってる。
誰かが入れたガムをプリントから剥がそうとしている様を、俺の隣の席の奴らが笑って見ている。諦めたようにガムを包み込むようにプリントを丸めると、鞄の中に入れた。あのプリントは期末の範囲じゃなかっただろうか。
誰かがきったねーと嘲笑う。
机の中に入っていた使用済みのコンドームを日下が見つけて目を丸くしたところで俺は机に顔を伏せた。
教師の足音、少しだけ静かになる教室。
規律、礼、着席。
椅子の足が床と擦れる音、今学期初めて完全にしんとした教室、足音。


「先生、具合が悪いので保健室に行ってもいいですか」
「あーはいはいどうぞ行きなさい」

日下の震える声。去っていく日下の足音。
俺は顔をあげて、明るさに慣れるためにまばたきを数回した。それから立ち上がって、先生を呼ぶ。

「俺も具合悪いんで、保健室」
「勝手にしろ」

教室を出て、走る。走る。走る。
クソッ、なんで教室が2階にあるんだ。
階段を何段も飛ばして、とにかく急いだ。
善意とか正義感なんてものは全くなかったけれど、斜め前の席に座っていた奴がいじめられて自殺するなんてトラウマになること間違いなし。
階段を上る途中で見えた屋上の扉は案の定開け放たれていて、でもとりあえず走りながら叫んだ。

「日下ああああああああ!!!!!!!!」

屋上にたどり着くと、涙を流しながらこっちを見た日下と目が合った。俺は汗をぬぐいながら日下が乗り越えたらしいフェンスに寄る。あと数歩前に出れば日下は落ちる。
そういう状態の人間に気安く近付いてはいけないのか、でもそんなことに時間を割くのは勿体ない。

「馬鹿か?」
「三崎…くん…?」

そういえば一回も話したことがない。今はそんなことを気にしている場合じゃないんだけど、俺と日下は今のが初めて交わした会話だったわけだ。なんだかなあ。
日下はフェンスの網目を握って、こっちをじっと見ていた。風で他の奴らより長いスカートがはためく。

「ここは保健室じゃねえよ」

何も言わない。言えない、のだろうか。
フェンスを握る手に力が入ったのはわかった。それでも、日下の目はどんよりと淀んでいて、こういう顔をしている奴には何て言ったらいいのかわからなかった。
それはきっと日下も同じで、いきなり話したこともないクラスメイトに自殺を止められそうになるなんて、どうしたらいいのかわからないのだろう。

「もう、嫌なんです」
「人をこんな風に傷つけられる人がいるなんて、信じられない」
「でも、それは私がいけなくて、」
「私がもっとちゃんと普通の人だったら、きっと誰もこんなことはしない」
「だから頑張ってるのに…!頑張っても、どんなに頑張っても、ただ……ただ、辛くて苦しいだけです」

「だから死ぬのか?」
「生きていても、しょうがないから。生きている意味が、わからないから」

日下は俺に背を向けて、一歩前に出た。
ドラマとか映画だとドキドキするシーンだ。飛び降りるのか、飛び降りないのか、どうなるのか。
俺はドキドキなんてしていなかった。どこから沸き上がるのかはわからないけれど、どうしようもない怒りと悲しみがぐちゃぐちゃに混ざったような自分でも嫌だなと思うような感情だけが俺を支配していた。
金網を掴むとガンガン揺らす。いきなりのことに驚いたらしい日下がこっちを見た。

「俺の前で死のうとするんじゃねえ」

綺麗な目なのに、開けていることすら億劫といっているような顔のせいで台なしだ。
さっきより少し離れた場所で、日下が俺を見ている。ひっぱたいてやりたい。フェンスがなかったら、安全なところまで腕を引いて、頬を叩いて、やめろよって言えるのに。
フェンスのせいで、俺までおかしな気持ちになる。日下がどうしても。どうしても飛び降りると言うのなら。
網目に足をかけてよじ登り、日下の隣に降りる。
こんなに近くで日下の顔をちゃんと見るのは、初めてだったかもしれない。それは日下も同じらしく、フェンス越しではなくなった俺の顔をまじまじと見ていた。
日下はうっすらと笑うと、空中に身を投げ出した。
慌てて俺もそれに習う。
目の前で死のうとするなと、言ったのに。
落下しながらも日下の手を握った。

「お前のことを好きだったのかもしれない」
「勘違いじゃないですか」
「勘違いだったら良いかもな」

だってもう、遅すぎる。







目覚まし時計がけたたましくなっている。
今日は土曜だというのに、間違えてセットしてしまったらしい。止めて、起き上がって、パソコンの電源を付ける。
そういえば変な夢を見た気がする。思い出せないのだけれど。
パソコンのメールボックスを開くと、またアトリからメールが来ている。なんでこいつはこんなに俺に構うんだ。
うざったいと思いながら、返信している俺も俺で何なんだ。
もし今日お暇でしたら、一緒にクエストやりませんか?
どうして俺はオーケーしてしまうんだろう。なあ志乃、どうしてだろうな。

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