―――――あの日見ていた空は、まだ、蒼く透き通っていた。
−灰色の空−
積み上げられた廃棄物が、まるで小高い山の様に其処に立っていた。
小山は幾つも集まり、地面はがらくたに埋め尽くされている。
沢山の工場から、『不良品』が此処に捨てられる。
主に機械の部品や、もう使えなくなった道具。
元は大事に扱われていたのだろうゴミ達が淋しそうに身を寄せ合い、そこは空虚な空間だった。
そんな不必要の混沌の中、1人の青年が立っていた。
軽装に身を包んだ、痩せた二十代前後の男だった。
生暖かい風が彼の短い茶髪を揺らす。青年は飛んで来た砂埃に目を細める。
「………」
青年は、空を見上げていた。
其処に広がるのは、工場の廃棄物や煙、有害ガス等で汚れきった灰褐色の空がある。
大して綺麗でも無く、見ていて楽しい訳でも無いその空を、青年は食い入る様に見つめていた。
〔………あんた、いつまでそうしてんの?五時間くらい、経ってるんだけど〕
ふいに、幼い少女の様な、少しくぐもった声が響いた。
青年が声のした方へ振り向く。其処には、小さな人間の後頭部。―――いや、『人間に造られた機械の人間』の頭が、顔を背けるように存在していた。
まるで顔面をがらくたに突っ込んでいる様な姿で、ここからは毛髪しか見えない。その薄汚れた髪は、きらきらと輝く夕日の赤色だった。
「………君が声をかけてくれるのを待ってた、って言ったら?」
青年が再び空に目を向け、冗談交じりに呟く。
〔嘘吐くな。気付いてなかったくせに〕
機械人形が不機嫌そうな声をあげた。
「……」
〔……〕
2人の間に、沈黙が流れる。
いや、青年の方が会話するのを放棄したのだろう。青年はただ、空を一心に見つめている。
まるで、海を泳ぐ魚の様に必死に。
まるで、草原に茂る草の様に当たり前に。
人間の欲と勝手に塗れた空を、ただただ、一心に。
〔なぁ〕
痺れを切らしたように人形の方が声をかける。
〔空なんかみて楽しいかよ〕
「そう言えば何で君は顔をこっちに向けてないのにおれが何してるのか分かるんだろう」
〔んな事どーでもいいだろ。最初に聞いたのはこっちだ〕
その声に、やはり顔を上に向けたまま苦笑くる青年。
「…楽しくないね」
〔じゃあ何であきもせず見てられるんだ?〕
「空が好きだから」
青年が静かに言う。
「空の蒼が好きだから。夕暮れに紅く染まる西の空も、藍色と混ざり合う空の色も、優しい月も、小さな星も。大好きなんだ」
〔何言ってるんだよ、お前。空は灰色じゃん〕
「昔だよ。ずっと、ずーっと昔の話さ……」
何処か遠い目をして、青年が言う。
「あの灰色の向こうに綺麗な蒼があるのをおれは知ってる。だから、………もしかしたら」
〔見えないだろ〕
「あは、やっぱり?」
楽しそうに笑った青年が、ふと空から視線を外して、廃棄された機械人形を見る。
「君はこんなところで何をしているんだい?」
〔見ての通り、捨てられたのさ!〕
自棄気味な声で人形が叫ぶ。
〔『フリョーヒン』だからね、造られたと思ったらバラされて捨てらたよ。ったく〕
「君の何処が不良品なんだい?」
〔関節部分がうまく動かなくて、直せばいいのにその方が金がかかるからってポイだよ。いい加減にしろっての〕
そうぼやく人形に、青年はゆっくりと近付く。途中でぼろぼろの車輪に躓き、
「うわ」
そのまま、派手な音をたてて倒れて小山から転がり落ちる。
〔おい、大丈夫かよ。マヌケだな、お前〕
「大丈夫」
埃を払いながら青年は立ち上がった。
そして、機械人形の頭をひょいと持ち上げる。
「うわぁ、ぼろぼろ」
〔うるッせぇな〕
此方を向かせるように持つと、その顔は殆ど壊れていた。
右半分が抉れる様に破損しており、中の複雑な構造が見える。
壊れた部分が無ければ、きっと愛らしい少女の顔だったのだろう。
「よくもまぁ、喋れるねこれで」
〔まぁ、データ初期化されなかったからな。ユーシューなんだよ、オレ〕
「へぇ」
くすくすと笑う青年は、汚れを落とす様にその髪に触る。
「夕焼けの色だね」
〔ユーヤケ?〕
「うん。夕焼け」
青年はまた空を仰ぐ。今度は、小さな頭部を抱えたまま。
「汚くなっちゃったなぁ…空」
〔前はそんなに綺麗だったのかよ〕
「うん。すごく。でも」
〔?〕
「おれは大人になって、色々知りすぎたから。綺麗なものの裏側とか、汚いものとか、子供の時は見えなかったものとか、年を重ねるにつれて色々見えてきて…多分、もう、空を見ても純粋に『綺麗』だとは思えないんだろうな、って思う。………大人になると、空は灰色に見えるのかも知れないね。それを見る瞳がもう曇ってるから」
〔……意味わかんねぇ〕
「あぁ、でももう空は灰色になってる。この世界の全員が、大人になったって事かなぁ?意味なんて無いよ。ただのおれの妄想だし」
〔お前アブナい奴だな〕
「そ?」
〔そう〕
「でも、もう一度、見てみたいんだ。あの蒼い空。もう一度見たら、おれはまた、たとえ純粋にじゃなくても、『綺麗だ』って思えるのかな?」
〔…さぁな。見てみなきゃ分からないだろ。その時は、俺も一緒に見てやるよ。あんたが言うように、ホントに綺麗なのかどうなのか、確かめてやる〕
「……」
積み上げられた廃棄物が、まるで小高い山の様に其処に立っていた。
小山は幾つも集まり、地面はがらくたに埋め尽くされている。
沢山の工場から、『不良品』が此処に捨てられる。
主に機械の部品や、もう使えなくなった道具。
元は大事に扱われていたのだろうゴミ達が淋しそうに身を寄せ合い、そこは空虚な空間だった。
そんな不必要の混沌の中、青年が立っていた。
軽装に身を包んだ、痩せた二十代前後の男だった。
彼に抱えられているのは、小さな壊れた機械人形の頭部。
あどけない少女を模して造られたその人形の髪は、美しい夕焼けの色だった。
今は失われた、綺麗な橙色だった。
「…それって、遠回しに『連れて帰って直せ』って言ってる?」
〔拾ったモンにはちゃんと責任取れよ、人間〕
「………何か、偉そうなもの拾っちゃったなぁ」
〔うるせー〕
「…まぁいいや。じゃあ、すっごい強そうな外見にしてあげる。ドリルとか、銃とか完全装備のメタルボディ」
〔俺を誰と戦わせるつもりなんだお前〕
積み上げられたがらくたの中、一つ、楽しそうな笑顔が咲いた。
それだけで、廃棄された世界は明るくなった。
まるで、あの日の夕焼け空の様に。