Treasure

□●〇●甘霖の涙●〇●
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「――ね、あかね…」

「…ん、」

御簾の外から聞こえた幽かな声に、あかねは高麗縁の畳から身を起こした。いつ
の間にか眠っていたらしい。最近怨霊浄化の為に内裏を走り回っているから、疲
れたのだろうか?

それでも聞き間違えよう筈がない、この優しい時雨のような声は。

「―季史さん…?」



●〇●甘霖の涙●〇●



あかねは十二単の裳裾を摺りながら御簾をくぐった。梨壺の庭は霧雨に煙って見
える。その中に佇む青年が一人。

「あかね…、?」

季史は御簾の内から現れたあかねを見留めて最初はほっとしたように微笑んだが
、不意にその柳眉をひそめて廂まで歩み寄った。
あかねは唐突な彼の変化に驚いたが、高欄越しに伸びて来た細いながらも骨張っ
た手が額に触れた時にその意味を知る。

「…熱がある」
「、え」
「いつもより頬に紅が散るように見えた。花冷えの風に当てられたのか」

季史はそう言うとあかねの手を引き、曹司の内へ入った。いつの間にか消えてい
た燭台に火を入れ、脇息の隣にあかねを座らせる。その前に膝を付き、薄紅の頬
に手を添わせた。

「やはりな…雨に濡れでもしたのか?」
「そ、れは…」

急に小さくなってどもるあかね。下から覗き込むような季史の視線から逃れるよ
うに明後日の方向を見たままごにょごにょと答えた。


――季史さんを、捜してたから、です。


季史はその詞に目を張ったが、すぐに眦を柔らかく細めた。形の良い口唇は緩く
弧を描く。いくら小さくとも聞き逃すはずもない。

鳴々、何と愛しいのだろう。


「あかね」
「…っ、」
「此方を向いてくれないか…?」
「……ん、」

囁かれては敵うはずもない。

あかねはおずおずと向き直ると、視線を落としたまま季史の衣をきゅ、と握った


「だって、"いつ会えるか"なんて分からないじゃないですか…」

そう、雨のようなひとだから。
所在の知れない季史を探して、あかねは雨の日に時々八葉に無理を言っては京の
町へ出ていた。

あの雨の日戻橋の上で見つけたように、また雨の日には逢えるのではないか。雨
が季史を連れて来てくれるのではないかと。



「…なら、もう探さずともよい」
「え?」
「私が自ら、そなたに逢いに来る」

季史はそう言うとあかねの前髪を掻き分け、額にくちづけた。濡れた音を立てて
唇を離すと、あかねは額を両手で抑えて顔を上げた。耳まで赤くなっている。

立ち上がった季史はその様子にくすりと笑みを溢し、今度は一人で御簾をくぐり
出た。あかねは慌てて後を追い、高欄に両手をつく。

「季史さん、これ…っ」

彼女が差し出したのは一枚の薄衣。あの日、戻橋の上で季史に渡した物だ。季史
は振り返ってそれを受け取るとふわり、と纏い、廂に立つあかねを振り仰いだ。


「また、逢えますよね…?」

「そなたが望むのなら、きっと」

雨霧は音もなくふわりと、桜花を包み込んだ。






End

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